潰瘍性大腸炎などを紹介してみる

26歳で潰瘍性大腸炎になって13年。妻と母と嫁と娘と姉、病人などの肩書があります。極度の面倒くさがりでプロの人見知りです。

潰瘍性大腸炎を発症したあの日。

覚えてない。

一昨日の昼食も思い出せないのに、13年前のこととか。

以下、役に立たないうろ覚えでお送りします。

 

最初は、ただの下痢だと思ってました。

潰瘍性大腸炎とか思ってもみないので、正露丸とか市販の下痢止めを飲みましたが、治まらず。

とりあえず市販薬でなんとかしたい、たいてい病院に行ってもたいしたことなくて時間だけくう、と思っている。

そのときは、便意はあっても腹痛はなかったような…気が…

1日の便回数も、危機を感じるほどじゃなかったはず。

普通にコンビニのドレイカレーおにぎりとか食べた記憶。

さすがに医者に診てもらわねば、の決定打はやはり下血でした。

これ、なんかの病気だな。と。

痔?痔かな?という尻から出血したとき真っ先に疑うやつ。

あの頃は携帯ってどんな形状だったっけ、電話の子機みたいに真っすぐのやつだったような、パカパカしてたような。

とにかくまだ、なんかあったら即ググるという文化はなく、とりあえず家から近い総合病院へ。

 

病院のスペックとしては、地方の県のさらに地方の総合病院です。

私が診てもらったのは内科の中でも消化器の先生で、どうやら当たりだったもよう。

 

確か、浣腸も何も前処置なしで浅く腸カメラをして、結果は後日。

下血はあかんやつなのですぐ診ましょうみたいな流れ…かな。

そして後日、潰瘍性大腸炎ですと告げられたのでありました。

大腸の左側まで炎症が来てるとか言われたような、その割に症状はそうでもなかったような。

仕事、行けてたし。

 

これまでサラゾピリン飲んだことないので、ペンタサを処方されたはず。

あとステロネマ座薬。

座薬て。と若かりし私はドン引きしたものの、なんかキシロカインゼリーもおまけしてくれました。

さらにプレドニン10ミリかなんか飲んだ…のかな、うん。

 

難病、治らない。の時点でまあまあショックだったのですが、その後の栄養指導にて『ほぼ白いものしか食べられなくね?』ってなったほうがへこみました。

米、豆腐、ささみ。みたいな。

13年前はまだ寛解時も食事制限が望ましいとされてた頃で、サシの入った良い牛肉とかとんかつとか、一生食べられないのか…?と思うと人生半分終わった感。

食べたいものが食べられないって、ものっっそいストレスなんだなと初めて知りました。

ショックだわ信じられない気持ちだわ、で大きめの市民病院にセカンドオピニオンを求めたものの、結果は同じ。

 

しかし、その後寛解してから現在まで、自身に対する人体実験を繰り返し、食べても大丈夫なもの、ダメなものがほぼ判っています。

私の場合は、唐辛子系の辛い物と、カップ麺がよくないっぽい。

あとはたぶん、缶コーヒーと地味にスイカもイマイチな気がします。

それ以外は何でも食べる。寛解時は。

 

一昨日の昼は、弁当箱にぎっしりの白米に鶏そぼろと茹でたささみを乗せたやつ、でしたっていうか、月曜から本日水曜まで、ずっとそれ…

『……健康的な弁当ってことだよね!』と気遣ってくれる職場の先輩、有難し。

 

あ、再燃しかかってる感じのときは、この本が参考になるかと。

自炊しなくても、食材選びの参考になります。

当時実家暮らしで包丁がどこにあるかも知らなかったので、母に見せたところ『白い』との感想を頂きました。

安心レシピでいただきます!―潰瘍性大腸炎・クローン病の人のためのおいしいレシピ125

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